棄街 莊峻華
捨てられた街 永井清人
夜霧にうるむ 曲がり角 青い街灯が つんとひとつ ここにあの娘が住んでいた 思い出たどる 二丁目の アア 捨てられた街 夜が更ける小鳩のような 面影を 胸にたぐって 見上げる小窓 好きと一言 云ったきり 別れて遠い 霧の夜 アア 捨てられた街 夜が更ける駅には近い この街に 咽ぶ汽笛は 最終列車 どこにあの娘は 行ったのか さよなら さよなら 幸せに アア 捨てられた街 夜が更ける
台灣之陳景峻兄在夏令會高歌兩曲,其音悽涼,曰悲情城市,回休市詢蔡明通兄,查出為
捨てられた街,為被棄街意,景峻不知其來自,我日文雖一生懸命,頑張若是,苦不知其意,僅憑猜測,似為男女私情,舒情解鬱,此歌原為佛蘭克‧永井所唱老歌,惟以亡佚日本,為侯孝賢選為悲情城市主題曲,在台復活。景峻被擠出台北縣長局,輔佐呂秀蓮姊,為玉山週報,奔走北美,風塵僕僕,無意中道出吾輩辛酸,願同鄉中有日文佼佼之士,譯出原曲,願稽首。
幾年前,台北曹濟平兄遺我十七首鋼琴家揚燦明作品,此首應是第八曲。景峻少年得易,十五年政治生涯,里長、市長、立委、行政院秘書長到福建省主席,一帆風順,此磨練時刻也。聞其為雲林西螺人,又有堅強台灣人意識,無料協助玉山報,實甚令人敬佩。
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